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食べず嫌いが嫌い このエントリーをはてなブックマークに追加

食べ物限定な話しではないです。

俺は「あー食べず嫌いが嫌いなんだな」という結論に至った。


ただ食べず嫌いにもいくつも数え切れない条件もあるんだなぁとも。

食べれない状況にある場合は外。
食べてる途中で既に嫌いだと感じる、感じて次がない場合、生理的なもの。これらの判断難しい。
(食べた)と判断する段階は物事や人によってどうしても変わってしまうものが多いので、やはり更にあいまいな「一般的」という範囲で考えるしかないのか。
もちろん逆に明らかに~な事も多数あることはある。
些細な食べず嫌いはどんなことにもあるし、誰でもしているというのは大前提。
要するにその「些細」だと判断する所を越えていることが多いと感じるし、問題である。。

とかとか・・・なんか色々考えるんだけど。。

とりあえず食べず嫌いの中で一番なのは
「知ったかぶりで嫌いだと断定、判断」
なのは間違いないと思う。
知ってる、知らないは先の(食べた)という事になってくるので一概にどうこういえなくなる・・・
結局矛盾することも少なくないというね。

そうなると食べず嫌いよりも「知ってる」、ここで言えば(食べた)という状況がどういうものなのかのほうが問題にはなるのだが、コレは答えがないからな。

ここで問題として考えたのは、
1から全を判断、またはその逆を許すかどうかということだ。
1つ1つがなければ全はありえないのは誰もが知っている。
けど「1から全を判断する」というのは全を知っている人意外本来できない事だと思う。
そして何事にもその事に対して全を知る事なんてそんな簡単にはできないという事。
多くの人はそれを忘れていると思う。
もちろんその事にかんして自分が全を知っているなんて思ってるわけではないのは注意。それでは矛盾だし、元々不可能なぐらいに思ってるし。
ただ
「それぐらいの事を忘れるのはいけない」とだけは言いたい。

何かに対して全を知るということは簡単ではないということだが、元々に限界があるものならば全を知ることに少しは近づきやすくはなるだろう。
例えば、あの作品は全て観た、ゲームを極めた~など。
そんな事は良くあることだし耳にもする。
だがそれで本当に全てかどうかを誰も判断できるものではないし、誰かが判断しても多くの場合は全と呼べるものではないだろう。
だが1つの限界が確かに存在するのを確認できるものであるため、全を知ることも「不可能」ではない。
というかこの場合一応の限界がみえるものはさほど問題でもないだろう。

逆に限界がないもの。限界をいまだに発見できていないもの。
それらに関しては究極を言ってしまえばキリがないが~
でも、そんなものに対して全を知る事はできないのにそれを忘れ知った気になる人が増えていると思う。
これが1番問題かもしれない。




さぁさぁ
いつもどーり
書いている間に話しが見えなくなってきた・・
っていうかいつもどーり
俺の頭の中まとまらなくなってきました・・・



要するに
「食べず嫌いはするな」
「お前はソレの何を知っている。」
「全てを1側面から判断できると思うな」
って思う事多いよって言うことにしとくw


あと、
((あいまいな表現))
っていうのはそんなに悪いもんじゃない
むしろ大事な事なんです~気づいてあげて~
って思うことも関連して最近多いですww




(14:15)

俺の頭ってホント限界がありすぎとか思ったり。。。
この程度の考えぐらい最後まで1つの文で貫けよって思ったりも。。
[ 2007/02/20 14:19 ] 日記 | TB(0) | CM(0)

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